電球が切れる。実に古い言い方だが器具が壊れた訳でもなく、ただ電球の寿命が来て点かなくなった状態を表現するのには、やはりこの言い方が適している。「ダイヤルを回す」と同じようなものか。これがいつか慣用表現となり、そのままやんけと感じなくなり、最終的に国語のテストで出るという面倒臭い結末を迎えそうな気もする。こんなことを延々続けていったら、全ての述語と目的語がずれていくんじゃなかろうか。例えば、晩御飯を投げるとか、テレビをかじるとか、自転車を抱きしめるとか……。結局、慣用表現とは時代の変化についていけず、現実とは乖離した状態の言葉を使い続けるしかない古き者たちが生み出すものなのかもしれない。

そんなわけで、門柱の電球が切れた。家を建てた時に最初に付いていたミニクリプトン球を外して交換したLED電球だ。それから26ヶ月、寿命を迎えた。定格寿命は30,000時間なのでその1/3にも満たない結果だった。寿命にはバラツキがあるとはいえ、ちょっと残念。がまあ、一年中野ざらしの玄関にあって、灼熱も極寒も豪雨も浴びたのたから、いくら密閉器具対応と言えどきつかったのだろう。

lifetime
<初代のLED電球の実効的寿命>

それで新しいのに付け替えたのだが、あまり深く考えずにネットで買ってしまったため、二代目は初代の倍以上の電気代になってしまった。まあ、それでも微々たるものだが……。明るさ的には元々のミニクリプトン球と同じになったものの、初代の45lmでも特に違和感はなかった。むしろ、二代目は明るすぎて光っているスポットが丸わかり。若干イマイチだ。

それはそうとコスト的にどうなのか、というところなのだが、下表のように元々のミニクリプトン球を消費電力20W、定格寿命2,000時間と見積もった場合、ランニングコストは結構な差になる。イニシャルコストはというと、初代を実力の10,000時間、二代目は定格寿命が40,000時間なのだが厳しめに見て20,000時間とすると、どれも大した変わりはない。したがって、総費用は大体日々の消費電力で決まってしまう。そんでもって、例え26ヶ月しかもたなくたって、ミニクリプトン球に比べればLED電球は遥かに低コストだ。二代目の明るさが煌々としたって、年間コストは低い。やはりLED電球でなくてはならぬ。

annual electric bill
<1年間当たりの電気代>
annual total cost
<イニシャルコストも含めた1年間当たりの総費用>

しかし、LED電球の捨て方がわからない。各自治体のやり方にしたがってという感じなのだが、調べるとここでは有害資源ゴミのようだ。でもそんなので捨てたら蛍光灯も白熱電球もLED電球もごっちゃで訳わからなくなる気がするんだが。小型家電との違いも不明瞭だし。やはりここも時代についていけていない。全世界のAIが繋がって、LED電球の有益な捨て方を考えてもらえないだろうか。